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竹内朱莉さんの卒業と縁(えん)の話

 

 

こちらは 竹内朱莉アドベントカレンダー 6月3日の文章です。

竹内朱莉アドベントカレンダー は2023年6月21日をもってアンジュルムを卒業される竹内朱莉さんの新たな門出を祝福したい!という趣旨の企画です

 

今回、素敵な企画に参加できてうれしいです。

一方でテーマには悩みました。私は今まで竹内さんご本人についてのブログは結構書いていてその時点から想いもかわってないし、アンジュルムを卒業しても書道家の彼女を推す所存なのでヲタクを卒業するわけでもないのです。せっかくの企画なので、色んな人の色んな方向からの竹内さん評を読みたいので、竹内さん本人についてではなく、今ならでは(?)の話をしようと思います。

本日6月3日は台風による中止がなければアンジュルムは、沖縄でツアー千秋楽を迎えていました(公演は中止になったものの私の飛行機は飛んだので文章をチェックしている今上空にいます)。記念すべき公演ができなくなったのは悲しいですが、この文章でいくばくかの想いを分け合える人がいるといいなと思います。


なおなるべく個人は特定できないように、同じ人の話が何回も出てきたり逆に集約したり少しぼやかしたりしてます。

内容についてのクレームは受け付けておりますし修正にも応じますので、これ、私のこと?と思ったらきいてくださいね。

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「縁」

 

ファン歴の長い彼女は、謙遜して自分は名前も覚えられてない1ファンだと言うけども、ずっと竹内さんの現場に顔を出し真摯に応援の言葉をかけ続ける彼女のことを覚えてないはずがない。ファンに対しては平等がモットーの竹内さんは個別会で特段名前を呼びかけはしない人だけど、彼女から聞く竹内さんとの会話はいつもあたたくて、面白くて、長年の絆を感じられた。スマイレージ曲「良い奴」の歌詞になぞらえて、とうとう10年先でも愛せること証明したんですねといったら、ファン歴を指で数えて10年はとうに越していると笑顔で教えてくれた。

 

とてもおしとやかで落ち着いた人なのに、竹内さんのこととなるとヒートアップする、ギャップの塊のような方もいる。彼女が連れてってくれた雰囲気のよいスイーツ店で、ゆっくり近況から話始めたのに竹内さんの話になった声のボリュームがあがってしまい、店員さんに「すみません、お客様…」と注意を受けてしまった(もちろんすぐ謝罪し小声にした)。その節は大変申しわけなかったけども、いい大人でそんな注意をうけるのもなかったことなので、そんな自分達にあきれてたまに思い出しては笑ってしまう。


また別の彼女は、何年も前の握手会の後の、涙を流す姿が印象的だった。最初コミュニケーションが上手くいかなかったのかと思ったがよくきいてみると竹内さんのことが好き過ぎてその気持ちが高ぶったためだった。彼女はただ好きで応援するだけでなく「全国民が竹内朱莉さんを好きになればいいのにな・・・」を体現する人で、竹内さんの良さを他の人に知ってもらいたいという気持ちが強かった。その熱さに胸をうたれて語り合うことが何度もあり、そういう仲間ができたことがうれしかった。


竹内さんやアンジュルムのことは昔から知っていたけど、はまってしまうから女性アイドルのファンになるのはずっと躊躇していたという彼女。ファンになると一直線で、その熱量と忠誠心はとても高く、行きにくい現場でもなんでもかけつける方になった。一方で、推しの一挙一動にドキドキはらはらして素直に表現するところもファンらしく楽しくてかわいらしいところだ。


フランクで元気で、個別でも竹内さんといつも楽しそうにしている彼女達。個別ではヲタクとしての一問一答しかできない私にくらべると、共通の趣味の話などで盛り上がっているので、できないなーうらやましいなーと思っている。そんな彼女らも他のメンバーと話すよりも推しの竹内さんと話すときは緊張すると聞いて、意外だったけども共感した。


現場で会った人達にはみんな元気をもらっていた。遭遇する時間は一瞬で、目線を交わしたり会釈する程度でも心強い。今ではSNSでも現場でもお見かけしなくなった人も沢山いる反面、ライフスタイルが変わりなかなか現場に足をはこべなくてもやはり好きだと語る人もいる。バースデーイベントなどヲタクが集合すると再会スペシャルに感じるくらい。


とはいえ基本、一人で現場にいって一人で帰るので、なんとなく誰かにあえるかなと向かった現場で、空振りすることも多くあった。特にハロコンではそういうことが多かったのだが、中野から近い新大久保に寄っては入りやすい飲食店を開拓していったので、そろそろ一人飯マイスターを名乗ってもいいくらいだ。でも中野サンプラザも閉まるしそこに寄る必要もなくなっていくのかな。


近場であればそれでも全然いいが、たまに地方遠征したとき何時間もかけて慣れぬ会場にいって開演前に知った顔がいないと少し心細くなるものだ。そんなときにそこの地元の方が笑顔で声をかけてくれると安心した。遠征が中心のヲタク活動している人は、毎回こんな大変なのかと尊敬するようになった。


人見知りはしないが気おくれはするタイプなので気まずい瞬間に陥ったことは何度もある。

個別の列に並んでるずっとお見かけする方に話しかけようかなと思いつつ、ただの見つめてるだけのおばさんになったり。

ご挨拶はしたことはあるものの、なかなか話すきっかけがなくてつながらなかったり。

フェスで集まって「いぇーーい!」と集合写真をとる方々が陽キャすぎて混ざれなかったり。

写真集イベントで並んでいるお知り合い達が竹内さんにハイテンションすぎて元気すぎやしないかと思ったり。←NEW‼︎


そうそう、竹内さんのファンは比較的彼女よりも年上の女性が多いけども、最近では竹内さんの年齢やそれより年下のファンも増えてきた。遥かに年下でも、みんな推す理由をもって現場に通ってきていてしっかりしてるなと感心するし、そのバイタリティがうらやましい。足腰の弱さには自信がある私なんて、イベントの合間に(座りたい…)(カフェに入りたい…)(無理…)と魂がとんでることも多かったのに。


ずっと女子の話ばかりしていたが、もちろん男性のファンの方も沢山いる。ただいつでもどこでも集う女性ファンに比べると、比較的落ち着いたシャイな方々が多いような気がする(ただし語りだすと熱い)。

おそらく面識のない方で、2017年の初めてのロッキンで、始まるずっと前から後ろの方にたって眺めていた青いTシャツの男性がいたのを覚えている。その方が23年のJAPANJAMでも同じTシャツで同じようにたっているのを写真でみかけて熱くなった。後ろ姿以外存じ上げないがあの時から今まで同じように見守り続けた存在がいることがありがたい。


もちろん竹内さん推し以外の方にも沢山会い支えられた。推しをほめられるとこの上なくうれしいし、いやいやあなたの推しも素晴らしいですよなんて、よくわからない馴れ合いの会話だったがそれも楽しかった。

数年前あるメンバーが卒業する際に、いつも現場でお会いしていたファンのその方にも会えなくなることに気づきその場で泣いてしまったことがある。でもなんだんかんだその方はその後も現場でお見かけしてるし、なんなら先月のアンジュルム公演でもお会いした。人と人の縁は、そういうものらしい。

 

これだけ書いているのに、まだ書けるような気もする。このアドカレ企画もそうだが、卒業が目の前にせまってきた今でさえ新たな出会いがある。

そうしてあらためて色んなファンがいるなと思う。よく言われる「ヲタクの総意」なんてものはなく、タケちゃんのファンはこういう人が多いねといわれても、確かにそれに当てはまる人もいるけど、そうじゃない人もいるなと思う。全然一人一人違う人だ。


さて、ヲタクの話を勝手にさせていただいたので、少し長くなるが私というヲタクの話もしようと思う。

私は竹内さんを満員の横浜アリーナで送れることをとても喜んでいるヲタクの一人だ。一緒に大きな夢を見たいと願っていた気持ち(このあたりは3年半前にかいたこのブログ↓にかいた)は推し始めのころから変わらず、ずっとこの子の夢をかなえたいという気持ちがあった。

竹内さんのためならなんでもできるという気持ちの根源はどこにあるんだろう。と考えた時、ふっと暗い部屋が思い浮かぶ。私が竹内さんを推し始めた2016年に一瞬だけあった、スマアンジュ風にいうと「どん底」を感じたある瞬間のこと。日が差さない当時の私の部屋の中が、特に真っ暗に感じた日。


その時は仕事のことも身の回りのこともなにもかも、自分ではどうにもならない状況に追い詰められ、心労が続き疲労困憊だった。その日、私はハロコンに行く予定だったのにもかかわらずベッドから起き上がれず行くことを断念した。ただの疲労でだるいということは今にいたるまで数えきれないほど経験しているが、問題はそれよりも行きたいとも思えず何もかもどうでもいいと思う自分自身の心だった。大好きだったことに興味がもてないことにショックをうけていた。


それまで多少の問題があっても楽しみがあればがんばれていたし、逆を言えばストレスフルでもライブさえ楽しめれば自分は大丈夫であると確認できた。よく考えれば休息を優先するべき状況だったが、今よりも数年若かったので無理がきくと思っていた。


とにかく、全然起き上がれないSUNDAYのイントロが無限に続く世界に迷い込んだようだった。何か気をまぎらわすものがないかと、2か月前に推し始めた、通販でとどいた竹内さんの生写真を手に取って、見つめてたら。その写真をみていると、落ちていく気持ちが少し楽になることに気づいた。ああ、かわいいな、心が和やかになるなと、つられて笑顔になった。この子の写真をお守りがわりに見ればいいじゃないかと思った。

その後の記憶は若干薄れているが、写真をただ自分の気力をたもつためだけに見た機会は実際にはそんなになかったと思う。幸いなことに私の「どん底」は、きっかけとなる問題がそれぞれ解決に向かうことにより浮上し、私の生活に大きな影響をあたえるほどではなかった。ライブについては数週間後のBuono!の武道館はスタンディングで盛り上がって楽しむレベルにはなっていた。

でもただ落ちていくだけで不安だった日、私のそばに竹内さんの写真があったことは確かで、そこからなんとなく私が竹内さんに恩を感じている。そして今は、ただかわいいから好きだから、竹内さんの写真をみている。

こうして書き起こしてみると、ヲタクの「好き」の根源なんて、きわめて私的で、自分勝手で、はずかしいものだ。本人に「暗い部屋であなたの写真をみつめて、自分が笑えることを確認していました」なんて、言えるわけがない。


沢山の人の話をしたので、ついでに自分の話もしたが、暗い部屋のことは自分でもめったな時にしか思い返さない。足元を掘り起こしてみるとこういう気持ちもあったというだけで、ファンになったきっかけは竹内さんのパフォーマンスだし、より深く好きになったのは竹内さんのかざらない人柄ゆえだし、継続できたのはただただ居心地がよかったからに間違いはない。


普段会社では話しかけんなよオーラを出している私が思っていたよりは多くヲタク活動で人と話すことになった。昔、私がハロメンが何十人の中でたった一人の推しがかぶるだけでも奇跡的じゃないかと冗談めかしていった時、その考え方を好きだといってくれた人がいたのも嬉しかったな。

あらためて、タケヲタ最高だ。自画自賛で、他の人たちから褒められるならまだしも自分たちのことを褒めるなんて、滑稽な話だ。アンジュルムが一時期「うちら最高!」と言ってた頃、内輪だけもりあがってるんじゃないと批判をうけていたのと同じ現象だ。でももう、あと少しだから、まだ調子にのったままでいさせてほしい。


卒業のために今まで以上に過密に組まれたスケジュールを一つ一つ消化し、ようやくゴールがみえてきた。


アンジュルムの卒業公演で流れるあの曲のように、ファンにはファンの交差点があると思う。直前にどんな盛り上がる曲がかかっていても、あの曲のイントロが流れたら、このまま進むか、曲がるか、それともひとまずその場にとどまり続けるのか、選択しないといけない。

幸い竹内さんは表舞台にいつづけるようなので、これからも同じような感じで同じように続くのかもしれないけど、アンジュルムとしてはここが一つの区切り。

竹内さんが最初で最後といってだした写真集の名前は「round about」で環状交差点のことらしく、「交差点」の曲名を意識してつけられたのだと思う。

ぐるりと一方向に進行する交差点にさしかかる直前にいる今、仲間たちが沢山いることを実感する。知り合いでも、そうでなくても。一緒に回った時間はきっと多分、ただすれ違うだけよりずっと楽しかったよ。

 

以上でーす。

卒業公演の数週前のこのタイミングで、まとまった文章をかけたので良かったのかなと思います。卒業公演は灰になって燃えつきる気満々なのでね。

長い文章を読んでいただいた方ありがとうございます。

 

明日の担当は文章がぐるぐるさん、アートはKeigoさんです!